カレイなる日々

華麗な加齢を目指していますが?。最近は残りの時間があまり多くはない親とのかかわりを中心に書いています。

父の退院に向けて

制度はともかく、担当のケアマネさんは対応も早く助かります。

福祉用具のカタログを母と一緒に見ました。今は、いろいろな福祉用具が利便的なことはもちろん、デザインもカラフルに紹介されています。姑の介護体験がある母は「私の頃はこんなのなかったわ」と目を丸くしていました。10代の時、何週間か祖母が来ていたことは覚えていますが、私は本当に何もしない子供でした…。とりわけ人相手のことは大嫌いでした。そんな私が介護支援専門員の資格を持つような人間になるとは、母も父も思わなかったでしょう。親戚には「失敗作」とこぼしていたようですから…


living sober

20代の頃の私は、うまくいかなくなった同棲生活やクレジットカードの乱用・借金生活で、もうなんのために毎日朝起きて仕事に行くのかわかりませんでした。アルコホリズムが私の生活に根を降ろしていましたが、カタチばかりは出勤していましたから、自分ではアルコホーリクだとは思いもしませんでした。当時は、アルコール中毒という言い方の方がポピュラーでした。そして、私の中の認識では、確か、アル中というのは、一升瓶の横で朝から晩までお酒を飲んでいる腹巻をまいたオジサンのことであるので、私にはあてはまらないと思いました。

「見せかけだけなんとかなっている」状態ほど辛いことはありませんでした。

そんな頃に親が入院したりしても、手伝いどころかろくすっぽ見舞いにも行かない子供でした。私がやるべきことを、叔母さんがやってくれていました。

あのまま、お酒を飲み続けていたら、どうなっていたのだろうと思います。


アルコールを手放し、自分の心に巣食っているものを徹底的に棚卸ししてきたことで、かろうじて私は新しい人生を始めることができました。


そうでなかったら、私にはとても親の介護はできません。


介護保険

介護保険制度には、いろいろいろいろいろいろいろいろ感じることや、いいたいことがあるのですが

たとえると、なんでしょう、このカンジ…焼き肉屋さんに入ったら、お肉の入荷は明日になりますので席についてお待ちくださいみたいな?ちょっと違うか…