カレイなる日々

50代に突入です。介護度上昇中の親とのかかわりを中心にした日記です。
私自身の心身の変化も記録します。加齢なる日々になるか、華麗なる日々になるか?

どこも人手不足!

知りあいが出していた手作り通信が最終号を迎えた時の挨拶。「スタッフの高齢化により〜」という文言に「どこもそうなのか」とタメ息をついてしまいます。

仕事場でも人手不足の声はあがっていますが、ボランティアグループの場でも人手不足。ただ、仕事先の人手不足とちょっと違うのは、私が関わっているボランティアグループには所属している人はわりといるんだけど、グループ運営のような役割をやる人は少ない、いつも同じ人たちがやっているという構図…。昔はそれなりに〝先輩後輩〟のしち面倒くさい流れがあったものですが、そのぶんグループは安定していました。最近は〝対等な関係〟になったぶん、グループの存続も危うくなるとはいったい、どういうことでしょうか?こういう傾向って、他のことでも感じています。

「孤独死」ってコワい?

私には〝こうなったらコワいなー〟ということはいろいろありますが

「孤独死」に関してはあまりそうは思いません。

「孤独死」すると後片付けをする他の人が大変そうなので、そこは事務的にもちゃんと手配はしておこうと思います。現在はパートナーがいますが、入籍はしていませんし、したところで、では「孤独死」しないかというとそれはわかりません。子供がいないので「孤独死 」する確率はかなり高くなります。ですが、10代から30代までをひきこもり・鬱病・希死念慮で過ごしてしまったせいか、孤独真っ只中がどういうものか知らないわけではないし、そんなに毛嫌いするほどコワいこととは思わないんです。もともと一人っ子ということもあり、一人に慣れていることもちょっとは関係あるかもしれません。ただ、八十代の親や、パートナーにああいう孤独感は味わってほしくないなと思います。送る側でいたいなというのが、今のところの大きなワガママなんですが。

(画像は、元気な時に散歩に出かけた母)

こういう年代

10年ほど前の話です。伯母が亡くなったという連絡が入りました。

八十代の伯母は一人暮らしをしていましたが、ヘルパーさんや民生委員の人が訪問しても留守。

妹である母に連絡が入って駆けつけましたが、炬燵で眠ったまま亡くなっていました。

伯母は看護婦を勤め上げ、看護学校でも教鞭を執っていたこともあり、健康にも気を配っている人でした。母も私も、伯母さんなら90歳はラクラク越えそうだと思っていたので思いがけない訃報でした。幸いだったのは、亡くなって三日ほどしか経っていなかったこと、2月の真冬だったことです。そして単身者でしたが、姉妹や姪達に送ってもらうことができましたから、大往生と言えるでしょう。

最近、八十代になった母のスナップ写真を撮影しました。

伯母とそっくりで、母も私も苦笑してしまいました。

八十代で心臓疾患もあるので、何が起きてもいいように覚悟はしていますが、私もこういう年代になったのだなということを感じます。